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大阪地方裁判所 昭和42年(わ)2741号 判決

被告人 奥本信雄

昭九・五・二一生 紙加工業

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の主位的訴因は、「被告人は、自動車運転者であるが、昭和四一年二月五日午後零時五〇分頃、大阪市城東区鴫野東二の二番地先道路北側において、普通貨物自動車を東向きに停車させたのち、エンジン調整のため運転席の右側ドアを開放して下車しようとしたのであるが、かかる場合自動車運転者としては、あらかじめ自車右後方から自車の側方を通過しようとする車両等の有無及び状況を注視し、その安全を確認してからドアを開放するなど危害の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、被告人はこれを怠り、漫然と右側ドアを開放した過失により、折柄西から東に向け、自車の右側方を自動二輪車に乗つて通過しようとしていた岡島弘(当二七才)の左手に右側ドアを接触させ、同人をしてハンドル操作を誤らしめて路上に転倒させ、よつて同日午後一時一五分頃、同区西鴫野所在城東中央病院において同人を頭蓋内出血等により死亡するにいたらしめたものである。」というものであり、また、予備的訴因は、前記主位的訴因のうち「岡島弘の左手に右側ドアを接触させ」とあるを削除し、その部分に「岡島弘(当二七年)をして右ドアの開放により狼狽させ」を挿入し、その前後を前記主位的訴因のそれと同一の内容とするものである。よつて以下当裁判所の判断を示す。

(一)(証拠略)によれば、昭和四一年二月五日午後零時五〇分頃、大阪市城東区鴫野東二丁目二番地先の東西に通ずる道路において、被告人が運転して来て、同道路北側に車首を東に向けて停車していた普通貨物自動車の右側を折柄西から東に向けて通過しようとした岡島弘(当時二七年)運転の第二種原動機付自転車が右自動車の傍らで同人もろとも転倒し、路上に投げ出された同人が後頭部および右側頭打撲挫傷にもとづく頭蓋内出血により同日午後一時五分頃同区西鴫野五丁目八番地城東中央病院において死亡するにいたつたことが認められる。

(二)  そこで、まづ右事故が停車していた自動車から下車しようとして被告人が開けた運転席の右側ドアに被害者が接触したことによるものかどうかについて検討する。

(1)  前掲証拠によると、右事故当日の午後零時三〇分頃、被告人は、大阪市城東区鴫野東二丁目二番地に在る取引先の日本紙加工株式会社に赴いたところ、先に同会社に来ていた被告人方の使用人植田智から同人が運転して来た普通貨物自動車(大四ろ五〇四一号、以下「本件自動車」という)のエンジンの調子がおかしいので見て欲しいと頼まれ、早速エンジンの調子を調べるべく、植田を助手席に同乗させ、本件自動車を運転して同会社周辺の道路を一巡し、同会社前の幅員約八・二メートルの東西に通ずる道路北(左)側に車首を東向きにして一旦停車し、いわゆるエンジンをふかしながらその調子を観察していた。被告人が停車した位置は、車の右側が道路の左側端から約二・九メートルのところにあり(なお裁判所の昭和四五年一二月六日実施の検証調書によると、本件自動車の車長は約四・三メートル、車幅は約一・六メートルであることが認められるので、これからすると、被告人は、本件自動車を道路の左側端から約一・三メートルの間隔をおいて停車したということになる)、車の前部が右会社の正門の西側門柱から西方約五・三メートルの地点に来る位置であつた。(なお、この本件自動車の停車位置については、被告人の争うところであるが、(証拠略)によれば、前掲司法警察職員作成の実況見分調書に記載されている本件自動車の停車位置は、事故当日被告人自らがその記憶に従い、本件自動車を運転してその位置に停車し、警察官に指示した地点であることが認められ、警察官においてとくに作為したものとは認め難い。本件自動車の停車位置についての被告人の本件公判段階における主張はとりえないところである。)そして事故発生現場の道路は、アスフアルト舗装の平坦な直線道路であり、何等障害となるものは存在せず、見通しの良好な場所であり、交通量はそれ程多くはないことが認められる。

(2)  そして、右事故発生時の状況について、(証拠略)によると、被告人は、事故当日実施された司法警察職員の現場の実況見分に立会い、「エンジン調整で駐車中、本件自動車の運転席右側ドアを少し開いたまま調子を見ていた、降車のためドアを大きく開こうとした時、車体右側を後方から通過しかけた単車が右にハンドルを取られ右によろめきながら少し前進し、本件自動車の右斜め前方約六メートル余の地点で転倒し、そのはずみで路上に仰向けに投げ出された。」旨指示説明し、(証拠略)によれば、被告人は、「停車したまま、運転席のドアをどの位かはつきりしないが心持ち開いたまま、植田と故障していると話しつゝ、アクセルを二、三分位空ふかししていたが、どうしても原因がわからないので、キヤブレーターの故障ではないかと思つて運転席のシートの下にあるキヤブレーターを見ようと思いエンジンをかけたまま運転席のドアを心持ち開いたと思つた瞬間接触したようなシヨツクはなかつたが、運転席の右窓付近から右前方に向け約六メートル位の所まで単車がハンドルを取られたように、ぐらぐらとふらついて前輪を右側にして転倒し、運転者は顔を私の方に向けて尻もちをつくようにして頭を東の方に向け仰向けに転倒した。」旨供述し、さらに(証拠略)によれば、「ドアを右手に持つて約一五センチメートル位開けたままエンジンの空ふかしを二、三分やつたが、シリンダーへのガソリンの送りが悪いように感じられたので下車して運転席のシートを外してパイプとかキヤブレーターを見なければならないと思つてドアをさらに心持ち開いて下車しようとしたとき右前約一メートル位の所から右前方に向つて単車がぐらつきながら進行しているのを認め、実況見分調書図面表示の(イ)の地点に単車が転倒した。」旨供述していること、一方同乗者である植田智も「停車してエンジンの音を聞いていたが、被告人からエンジンの音をよく聞くためにお前下車して座席をはぐれと言われたので、運転席左側のドアから下車しようとして後ろの方を見ていたところ、何かがしやがしや引ずるような音がしたので、前方を見ると単車が倒れかけており、ふらふらと自動車の前の方に行つてひつくり返つた、被告人が下車しようとしていたかどうかは自分としてはわからない、ただ本件自動車に物が触れる音は聞かなかつた。」旨供述している(証拠略)、もつとも、被告人は、本件公判において、ドアは全然開いていない、単車が転倒したのを見てドアを開き下車したものであると主張し、その趣旨を供述しているが、この供述は後記証拠に照らしても信用し難く、事故発生時の状況については、前記被告人の司法警察員に対する供述のそれが信用できるといわざるをえない。そして被告人が停車中ドアを開けていたということも、エンジン調整のため、音に聞き入つていたという事情にあつたことから(エンジンの音に聞き入るのに車内を閉め切ると音の調子が掴みにくいおそれが多いといえよう)必ずしも不思議なことではない。

ところで、右認定の事実からしても、被害者が本件自動車のドア等に接触したかどうかはなお明らかとはいえないのであつて、検討を加えなければならない。

(3)  そこで、(証拠略)によれば、事故当日警察官において本件自動車を見分したところ、運転台右側ドアの外側の縁(ヘリ)の部分に、最下端から上部へ約一〇センチメートルの箇所を中心として上下に長さ約七センチメートルにわたり凹みがあり、その中心部分の凹みは約三ミリメートルであること、また、右ドア後方の運転台右側車体(ボデー)のドアとボデーとの合わせ目から約一・二センチメートルの箇所には斜め方向に長さ約四・三センチメートルのはね上げたようないわばひつかききずといえる擦過痕が印されていたこと、そして停車していた本件自動車の運転席の右側横の辺りから被害者の自転車が転倒した地点(停車している本件自動車の右前部から右斜め前方約六メートル余の地点)までの間の路面に自転車の右ステツプでこすられたと思える擦過痕が点々と残されていること、もつとも右路面に残されている擦過痕については、その始まりや終了の地点が停車していた本件自動車から見てどの地点にあたるのか、あるいはその長さがどの位であるか等の点で計測がなされていないため、多少正確性に欠けることは否めないけれども、事故当日現場の見分にあたつた警察官瀬戸田一史、高辻良夫、田邑正道の証人としての当公判廷における各供述記載によれば、右路面上の擦過痕は、停車している本件自動車の運転席右側ドアないし車体から約五〇センチメートルの間隔をおいて、ドアから前の方に印されていたことが認められるし、また、ドアに見られる前記凹みや運転席ボデーに印象されている前記擦過痕についても、前者については、従前からあつた凹みなのか事故当日に新しく出来た凹みであるのか、そのいずれとも断定のできないものであつたが、後者については、新しいものであることがはつきりわかる程度のものであつたことが認められる。

(4)  (証拠略)によれば、死亡した被害者岡島弘の身体には後頭部等の打撲挫傷のほか左手の指に損傷が見られ、その損傷の部位程度は、左手の環指いわゆる薬指に挫創があり、とりわけその基節部に顕著にして一部は中節部、手背にも及んでおり、薬指と中指との指間の付け根の部分に内出血が見られたこと、骨折など骨には異常がなく、縫合を要しない軽微な外傷といつた程度であつたことが認められ、一方被害者が事故当時着用していた左手の皮製手袋の薬指背面に一部分縦に類紡錘状の破れ等が見られるのであるが、右手袋の損傷は、鑑定人松倉豊治作成の鑑定書によれば、人が指を入れた状態で何らかの硬い鈍体(かつその作用面が狭い稜縁をなすような鈍体)が強く打撲的又は打撲擦過的に当つて生じたものとするのが妥当であり、また右手袋には右損傷の上下に条痕が見られるが、これら鈍線上の圧痕も同一物件により同時に発生したものと認められるとし、かつ被害者岡島弘の前記左薬指の背面に見られたという損傷は、右皮手袋の損傷を生じた際その作用外力により生じたものとして可能である、としていること、

(5)  (証拠略)によると、被害者岡島弘が事故の際運転していた第二種原動機付自転車は、一九六二年式のヤマハモペツトMJ2型なる車であつたこと、そして、裁判所の昭和四四年四月一五日実施の検証調書によれば、前記の本件自動車の運転席右側ドアに見られる凹みおよび運転台右側ボデーに印象されている擦過痕の位置形状をヤマハMJ2型の第二種原動機付自転車の左ハンドルの位置形状とを比較対照した結果は、右自転車の左右ハンドルを水平に保つた場合には、左ハンドルの位置は、本件自動車の運転席右側ドアの凹みおよび運転台右側ボデーの擦過痕の各位置とは合致せず、ハンドルの位置の方が高い。しかしながら、右自転車の車輪の位置を本件自動車の右側面から約四三センチメートル離したところに置き、そのままハンドルを左に、すなわち車体を左に約八度傾斜させると、自転車の左ハンドル握りの左端上部が運転台右側面ボデーに斜線状に印されている擦過痕の上端に合致し、かつこの状態で自転車のハンドルを左に切ると、ハンドルは擦過痕の斜線に沿つて移動し、これは擦過痕の傾斜角度約二五度とハンドル車軸の傾斜角度約二五度すなわちハンドルの握りがその廻転軸を中心として上下に移動する角度約二五度とも合致する。続いてこの状態で左手で自転車の左ハンドルの握りの部分を普通に持つた場合、ハンドル左端から左手人さし指と中指との指間部までは約八ないし一〇センチメートルで、この位置まで自動車運転席の右側ドアを開放すると、ハンドルの握りとドアの凹みの中心部との位置はほゞ対照し合致する。また運転台右側ボデーの擦過痕は、ドアとボデーとの合わせ目の際から約一・二センチメートル離れた箇所から斜め下方に向け印されているが、これはハンドルの握りとドアとの接触点からハンドルが後ろに弓状にそりを呈するために生ずる角度間隔ともほゞ合致していることが認められる。前記認定のように原動機付自転車の位置を本件自動車の右側面から約四三センチメートル離したところにおいて約八度傾斜した場合、自転車の左ハンドル等が本件自動車に接触するということは、一方、前記認定のように自転車が転倒の際の路面の擦過痕が本件自動車の右ドアないし車体から約五〇センチメートルの間隔をおいて残されていたということと併せ考えると、注目すべき符合といわなければならない。

(6)  以上認定の諸事実を彼比総合して考察すると、つぎのように思料することが相当である。すなわち、被告人は、幅員約八・二メートルの道路において、本件自動車を、その右側が道路左側端から約二・九メートルの位置になるところに停車してエンジンの調子を二、三分調べていたが、その間被告人は運転席右側ドアを一〇センチメートル足らず開いたままにしていたところに、停車中の本件自動車の後方から進行して来た岡島弘運転の第二種原動機付自転車が本件自動車の右側を約四三センチメートルないし約五〇センチメートル足らずの間隔しかおかないで通過しようとした際、右自転車の左ハンドルを握る同人の左手薬指の基節部辺を、前記のように一〇センチメートル足らず開かれていたドアの外側の縁(ヘリ)の部分に接触させ、そのためいわゆるハンドルを取られ、そのまゝ右斜め前方に逸走し転倒したものである、そして、岡島がドアに接触した時分には、被告人としても開いていたドアをさらに開いて下車しようとする寸前にあつた、と思料されるのである。

(三)  そこで、進んで右のような接触事故の状況に照らし、事故の発生が被告人の自動車運転者としての注意義務を欠いていたことに基因するかどうかについて考察する。およそ自動車運転者としては、その運転する自動車のドアとりわけ右側ドアを開扉することは事故発生の危険性が多い行為というべきであるから、その開扉に際しては、他の交通の妨害とならないよう慎重に操作すべきである。しかしながら前示認定のように被告人が本件自動車を停車させて右側ドアを一〇センチメートル足らず開けていたために、右ドアに原動機付自転車を運転して本件自動車の右側を通過しようとしていた岡島弘の左手の指が接触し、事故にいたつたものであるにしても、被告人の右程度のドアの開扉を捉えて被告人に自動車運転者としての注意義務の懈怠を問うためには、本件自動車の停車位置、道路の状況および交通量等をも併せて検討しなければならない。そうすると、前示認定のように、被告人は、本件自動車を幅員約八・二メートルの道路で左側端から約二・九メートルの位置に停車していたのであるから、いささか道路中央に寄りすぎる嫌いがあるとはいえ、本件自動車の右側は道路中央まで約一・二メートルの余地を残していること、その上右道路の交通量は比較的少なく、事故当時、道路の右側部分を対向車が進行して来ているといつた状態は見られず、しかも道路の見通しは良好な場所であり、このような道路状況と事故時はいまだ日中であつたことからして、原動機付自転車を運転して本件自動車の後方から進行する岡島弘としても、前方注視を尽せば本件自動車の停車状態を十分確認しえた筈であつて、同人としては何も本件自動車に近接してその右側を通過しなければならない事情はなかつたというべきこと(なお前掲裁判所の昭和四四年四月一五日実施の検証調書によれば、同人運転の原動機付自転車の左右ハンドルの幅員は六四センチメートルであり、車の中心部からすると左ハンドルの幅員は三二センチメートルあることが認められるので、前記認定のように、自転車の車輪の位置を本件自動車の右側から約四三センチメートルないし五〇センチメートル足らずの間隔しかおかないで運転する場合には左ハンドルの先端と本件自動車との間隙は極めて少なく、従つて本件自動車に左ハンドルの先端なり左ハンドルを握る左手指などが接触するおそれは大きかつたといえよう)、以上の諸事実を考慮するとき、被告人としては岡島がこのような進行方法で本件自動車に近接して来ることは予見できなかつたものであり、またその予見の可能性もなかつたと解するのが相当であつて、被告人が本件自動車の運転席右側ドアを一〇センチメートル足らず開扉していたことをもつて直ちに事故発生の危険性のある行為と目することはできない。従つて被告人に非難に値いする注意義務の懈怠があるというわけにはいかないといわざるをえない。

(四)  以上の次第で右接触事故について被告人に過失の責を問うことは妥当でなく、結局本件については犯罪の証明がないから刑訴法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとする。

よつて主文のとおり判決する。

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